2008年10月17日金曜日

vol.6 うめはらなかせのギター(前)






うめはらなかせのギターのお話です。と前回予告したものの、実はうめはら、あんまりギターに凝る人間じゃなかったです。コレクションもしてません。意外ですかね。なもんで今回、ギター好きの人には物足りなく、ギターに興味のない人にはまったく面白くない中途半端なトークになってしまいました。あいすみません。なかせさんの体脂肪に免じてお許しを。



 よう考えたら、このテーマは厳しかったです。実はぼく、あんまりギターにこだわってるほうやなくて。

 私もポロロンとしか弾けませんしね。

 なかせさんには最初から期待してませんし。

 バシッ!

な なんでやねん!

う いてっ、まあ、そういうことで、とりあえず、うめはらのギター遍歴だけ書いてみますね。ぼくがギターを始めたのが、中学3年生くらいの頃でした。ちょうどなかせさんが集団就職で京都に出てきはったころですかいな。

な 厳しい時代でしたねえ。

 バシッ!

な なんでやねん! 私は京都の生まれです~ぅ。鴨川の水を産湯につかいました。せやのに色黒。

う カラスの行水やったんちゃいます? それよりギターの思い出です。兄貴がね、ナルシソ・イエペスの教則本とガットギターを親に買ってもらって、「禁じられた遊び」を弾いてるのを見て、自分もやってみたいと思うたんです。兄貴はすぐに飽きてしもて、そのギターはぼくのもの状態に。その後の記憶はないけど、そのギターは兄貴がだれかにあげたのかなあ。

 私も中学生のとき、兄について行って、買ってもらいました。兄のは2万円近くするもんでしたけど、私のは5千円もせんかった。兄妹でなんでこんな差があるんかと思いました。兄は、なにひとつ弾けないままに終わりました。もったいな。

 そのギターはどうなったんです?

 兄のギターはだれかにあげたみたいですよ。私のは甥にあげました。いまも持ってるかな? あの安もん。

う ぼくはもうひとつ兄貴の影響で、フォークソングを聴くようになりました。家にはブラザースフォーのLPがあったんです。それで、自分でもアルペジオを弾いてみるようになったんですなあ。

な 私は兄の友だちにギターを教えてもらいました。基本の4コード C Am F G7 これさえ覚えれば、なんなと歌えました。

 当時は関西フォークがブームになって、岡林信康に夢中になったのも中学生の頃でした。「手紙」とかガットギターで弾いてました。AmからCに行くベースラインが好きでねえ。

 バシッ!

 またウエストラインとかにつなげるんやろ。

 被害妄想や~~~。話が続きませんやん。とにかく高校生になって初めて自分のフォークギターを買うてもらいました。かどうかは覚えてません。もしかしてお小遣いを貯めて買ったのかも。メーカーはたしかモーリス。1万円やったと思います。色白のきれいなギターでした。高1の遠足にギターを持って行って、川辺で同級生とふたりで歌ったのが初めての人前での弾き語りでした。

 遠足にギター? なんやそれ! みんなやかましかったやろねえ。青春映画みたいですやん。時代やねえ。ま、もてようという下心が見え見えですね。

 もてたい気持ちとか全然なかったです、ほんまに。たしかに色白でモテてましたけどね。

 色白男がもてる? そんなん聞いたことないわ。

う 近所の散髪屋のにいちゃんにはモテました。「うなじのあたり、しゃぶりつきたなるわ」と言われたことあります。なかせさんでも言われたことないでしょ。あの頃のぼくは、女の子みたいな顔してたんです。髪も長かったし。いまとちごてね。

 だれも知らんと思て、好きに言うてよし。それでギターの方の評判はどうでした?

 覚えてません。自己満足やったでしょうね。で、2代目がヤマキの12弦ギター。だれかが持ってたのがうらやましくて買い換えたんですねえ。モーリスのギターは友だちに売ったと思います。12弦ギターは2万円くらいかなあ。寺町三条の楽器屋さんで買った気がします。そこではウッドベースも買いました。それも2万円くらいやったかなあ。お金はどうしたのか、とんと記憶にありません。親が買ってくれるようなもんではなかったと思うから、自分の小遣いで買ったんでしょう。で、この次がいよいよヤマハの3万5000円のギター。同級生のF君のお父さんが十字屋に顔がきくということで、2割引で買いました。赤いピックガードがおしゃれでした。

な 人のもんが欲しなる悪い癖、割引に目のくらむ、これまた悪い癖。

 すごく他人に感化されやすい年頃やったんでしょう。ちょうど高2くらいかなあ。ニューエデンというバンドに入れてもらって、初ステージを経験します。たしか季節は冬。舞台に出たら足ががくがく震えたのを思い出します。どこのホールやったか、どの音楽団体やったか(DIMEやったか、AFLやったか)、覚えてません。このヤマハギターは、その後の文化祭のステージなんかでも使いました。たぶん高校を卒業するまでは使ってたかなあ。

 鈍感なうめはらさんでも初舞台は上がらはったんや。かいらし時代でしたね。

 それ以降はほとんどあがりませんでしたけどね、最初やから緊張したんでしょう。で、大学に入ってからもニューエデンをやってまして、このときはもうちょっと高いヤマハギター(定価15万円!)に買い替えました。その前のヤマハギターはF君に8千円くらいで売っています。S&Gとか高石友也のLPレコードもつけてね。で、大学時代のニューエデンでは、ぼくはウッドベース担当だったので、新しい高級ヤマハギターはほとんど弾かなかったんですよねえ。メンバーのN君が主に弾いてました。で、後にこのギターを彼に3万円で譲ることになります。

 ウッドベース担当、ヘェ~~~~~~! 初耳。弾けんのかいなあ。

 あれ? 言うてませんでした? ウッドベースいうてもルートの音をボンボン鳴らすだけでしたけどね。で、とうとう憧れのマーチンギターを知り合いに譲ってもらったのが、ニューエデンを解散してからだったかなあ。D-41をたしか26万円、いや22万円だったかで買いました。ジュラルミンケースに入っていて、それはきれいなギターでしたね。でも、1年間手元にあったかどうか。これも卒業前に自動車免許を取るために、ご近所の知り合い(京都ではちょっと有名なミュージシャン)に譲りました。買いたたかれて16万円でしたね。

 バシッ!

 そんなこと言うもんやないの。

 な、なんで?

 買うてくれはったから、免許がとれたんでしょ。

 仮免までに何度検定で落ちたことか。とほほ。

 あの当時大学生で22万て、大きいお金ですやんか。食べるもんも食べんと買わはったんとちがいます?

 いまもそうですけど、お酒もたばこもやりませんしね。

 でも、気の毒にここで、うめはらさんの貧乏時代のきざしが見えてきました。ま、いまも貧乏は変わらへんね、お互いに。

 貧乏は言いすぎでしょ、貧乏は。とにかくマーチンを売ってからはギターのない時期が続きました。28歳で結婚して、知り合いからただでマルハのフォークギターをもらうまでの5年間はギターなしの生活でした。ただし、知り合いにS.ヤイリのギターを借りていた時期があったので、まったく弾いてなかったわけではないです。

 ギターなし時代、よう辛抱できましたね。

う ほんまやなあ。大学卒業前は就職活動とかで忙しかったし、就職してからは社会人として生きるので精一杯で余裕なかったし。でも、会社員時代に「おたすけ」とかオリジナル曲をつくってたんです。てことは、まだ知りあいのギターを借りてたってことやなあ。

 マルハのギター今は私の手元にあります。

 あれ、もろたときはうれしかったなあ。ギターを買う余裕なんてなかったから。

 このギター、とても弾きやすいんですよ。

 弾きやすいでしょ。それだけが取り柄です。まあ、てな具合で、こんなにも次々とギターを買っては売り続けてきたのは、あんまりギターに愛着がなかったからでしょう。というのもヤマハの高級ギターにしろ、マーチンにしろ、どれもハズレやったからです。ああ、いい音やとか、弾きやすいとか思ったことがなかった。

 そやったんですか。

上の前編につづく