2008年5月24日土曜日

vol.2 命名うめはらなかせ


第2回は、バンド名の「うめはらなかせ」ネーミング秘話(そんなタイソなもんか)です。

 バンド名を真剣に考えだしたのは、初ライブの日程が決まってからでしたっけ?

 練習だけで楽しいと思っていたのに、ライブ出演が決まって。それでバンド名が必要になってうれしかったです。

 2007年の春ごろかなあ。

 そうです。ライブ会場になる「コープイン京都」のチラシに名前を入れるので、「バンド名教えて下さい」て、主宰者さんからメールがきました。

 最初はぼくの発案で「いそじまん」でした。五十路(いそじ)からのスタートということで。

 「五十自慢」かと思っていたら、「五十路MAN」でしたねえ。

 そうそう、五十路の人ということで。

 そやけど、私はMANちゃうし。

たくましいし、MANでもええですやん。

 バシッ!

 い、痛っ! いや、そやから「五十路WOMAN」と書いて「いそじまん」と読んでもええやないですか。

 そんなんダメですぅ。男性ばっかりのバンドみたいでいややし、却下!

はいはい。

 というて、英語のバンド名を考えようとしたけど、なんや垢抜けせん二人が英語名を乗るのも気恥ずかしいしねえ。

なんとかライダースとか、チェリッシュみたいなんはガラやないし、実物との落差も激しいし。ということで第2案、「京のはもきち」を提案したんですけどねえ。

 ハーモニー(ハモ)が好きやし、京都はハモ料理が有名やし。

 もう、これでいこかという感じもあったんですけど。

 私の本名がせっかく「なかせ」やから、これを活かさん手はないと言うたんです。

 そうでしたか。

 バシッ!

 ようそんだけ、あっけらかんと忘れられるわ。

 イテテテテ。

 それに私は、うめはらさんの名前をみんなに覚えてもらいたかったんです。バンド名に名前が入ってたら絶対覚えてもらえるでしょ?

 へえ、そらもうありがたいこってす。

 普段の言動からは、そういう感謝の気持ちが感じられしませんけど。

 いえいえ、それはもうちゃんと感謝したおしてます。

 それやったら、よろし。

 それで最初は「うめはら泣かせ」やったんですね。もう、これはうめはらなかせの人間関係の機微が浮かび上がってくる、実に卓越したネーミングでした。

 バシッ!

 わかってるんやろねえ。

 は、はいッ。

 でも、うめはらさんが、それではちょっと味気ないていうて、アットマークを入れて「うめはら@泣かせ」にしたら? といわはったんです。

 ちゅうことで、デビューのときは「うめはら@泣かせ」でしたね。そやけど、これもやっぱりシンプルなほうがわかりやすいし、自分ららしいということで、いまの「うめはらなかせ」になりました。

 なんか、いまいちネーミング秘話というほどのこともなかったですね。

 ほんまにねえ。みなさん、最後まで読んで「しもた!」て思うたはるわ。

 いたらん点はみんなバンマスの責任ですし。

う バンマスって、ぼくのこと?

 はいな。

 なんでやね~~~~~ん!

                                      つづく

2008年5月5日月曜日

vol.1 うめはら meets なかせ



うめはら&なかせがワンテーマについてチャタリングする「しゃべライブ」コーナー。第1回は、うめはらなかせ創業期を語る「うめはら meetsなかせ」です。



 ふたりの出会いといえば、これが意外や、インターネットなんですね。

 出会い系サイトではないですから!

 Yahoo! 掲示板のトップ> エンターテインメント> 音楽> ジャンル> フォーク> と探していくと出てくる「PP&Mはどこへ行ったの?」というトピックスが出会いの場になりました。ぼくが初めて書き込みをしたのは200511月のこと。なかせさんはその前から常連でしたね。

 中途採用のようなもんでした。

 20006月から始まった歴史のあるトピやったので、最初からいたわけじゃないということですね。ぼくは5年以上たってから入ったわけです。ハンドルネームはchabinhead。初めてのオフ会で、「チャビンさ~ん」と声をかけられたときは恥ずかしかったです。なかせさんはkarinto さんでしたね。なんで、karinto なんですか?

 名前のアルファベットを組みかえただけで。もとはkarinだったんですけどIDを忘れてkarintoにしました。 カリントの語感が好きです。

 というわけで、なかせさんと出会ったのは、「PP&Mはどこへ行ったの?」の京都オフ会でした。2006年の夏でしたね。fantsticbaseさんというPP&Mバンドのベースマンがおられて、この方の行きつけの「すし竹」という店でしたっけ? 先斗町の小料理屋さん。

 正真正銘京都弁のお店でした。値段もお手ごろで美味しくて。

 うめはらの第一印象はどないでした?

 チャビンて言うぐらいやからツルツルかと思っていたら、しょぼしょぼとありました。

 しょぼしょぼて。逆になかせさんの印象は、そらもう、ええっと……。

 信楽狸でしょ。分かってます!

信楽のタヌキて、そんなかいらしかったですかいな。印象的やったのは女性ふたりで「SPARROW 」という歌をハモらはったこと。これはけっこう感激しました。

 また間違う。「SPARROW 」やなくて「SWALLOW 」でしょ。いま、うめはらなかせのレパートリーになってますやん。

 さいでっか。とにかく、そのあと2回ほどオフ会があって、で、別の人に送ったぼくのオリジナル曲の「おたすけ」をなかせさんが聴かはったんですよね。

 「おたすけ」にはびっくりしました。ほんまに歌いたいと思いました。

 さすがお目がお高い! ほんで、なんでいっしょにやることになったんでしたっけ? もう忘れてしもた。

 私がお誘いしたんですよ。

 そうでしたか。それが2006年の秋か年末か……。

 苦難を乗り越えてのバンド結成でした。

 苦難てありました? まあ、初めての練習は緊張しましたねえ。それまでにお互いやりたい曲をメールで送ったりして、わりと好みがあうのはわかってたけど、実際合わせてみると、これが。

な あきませんでした。

 こんなハモらへんの、どないしょて思いました。サイモン&ガーファンクルの歌とか練習したんですけど、まったくハモれへん。自分で二声を吹き込んだほうがきれいにハモッてる。これはショックでした。

 ほんまにねえ、どうなることかと思いました。

 まあ、しかし、やってるうちに何とかなるもんで。

 気心しれて お互い相手の声に寄り添う気持ちが出てきたんでしょうね。

ここで伸ばす。ここで声をはる。とかちょっとしたことですけどね。

  ちゅうことで、次は初ライブの話をしましょか。

 まだありますやん。浮かんでは消えたバンド名のお話。

 そやったそやった。では、次はバンド名もろもろの話を。

                                     つづく