2008年10月17日金曜日

vol.6 うめはらなかせのギター(後)








文章が長くなりすぎたので2回に分けました。下の前編からお読みください。


う 
そうだ! 忘れてた。マーチンのバックパッカーというギターを買 いましたね。これは仕事をいただいている業界紙の社長さんから社長賞というのを5万円いただいて、そのうち3万円を使って買いました。社長さんの誕生パー ティーに、よくバックパッカーを持っていきましたね。ただ、これは弾きにくいうえに、音もよくなかった。

な この間、酒谷さんに来てくださった社長さんですね。下積み時代からうめはらさんを支えてくれたはる。

 はい、その社長さん。「お富さん」も、その社長さんの名前に富がつくので、替え歌をつくって歌ってました。それがいまのレパートリーにつながってます。

 バックパッカーてどんなギターですの? 何か意味がありますのん?

 バックパッカーっていうのは、背中にバックパックを背負って旅をする若者のことですね。そういう旅人でも持ち運べる軽便なギターってことです。

 へえ、そんなギターがあるんですね。「ギターを抱いた渡り鳥」ていうのありましたけど、ギターを背負ってはりましたから、まさにバックパッカーや!

  ギターを背負った渡り鳥やったんですね。で、やっと、うめはらなかせのギターが登場するのが2006年の春です。それ以前はマルハギターがあったものの全 然弾いてませんでした。25年くらい弾いてなかったでしょうねえ。ちょうどその頃、ヤフー掲示板の「PP&Mはどこへ行ったの?」にときどきコメントを書 き込むようになって、それで久しぶりにギターを弾いてみたいと思うようになってました。

 オフ会もありますからね。

  で、思い立って、ギター弾きとしてのリハビリも兼ねてワタナベ楽器店でレッスンを受けることにしたんです。楽器を買うと入会金が免除されるというので、こ の機会に買おうと思いました。ギターはお店にあるのを試奏させてもらって、K.ヤイリが気に入りました。色白で清潔感があって、ピックガードも透明で。

 見た目で選んだんかい!

う はい、ビジュアル重視で。ところが、これ、コンパクトギターだったので、そ のフルサイズ版であるLO-95を注文しました。値段は割引してもらって10万円ちょっとだったと思います。

 マーチンバックパッカーを下取りに出して?

う よ うわかりましたね。1万円で買い取ってもらいました。ヤイリは注文生産だったので、4か月以上待ちましたよ。試し弾きしてないので不安でした。どうせまた ハズレだろうと思ってたら、いや、これがアタリ。うれしかったですね。掲示板のオフ会に持っていったら、皆さんにほめていただきました。

な こ のヤイリ、涼しい音がしますよね。凄く好きです。いままで自分が歌えることだけで満足でしたから、ギターの音とかあまり頓着しなかったんです。でもこれは ええ音です。姿も美しい。色白で品がよろしい。オフ会でそう言ったら、「うれしいこと言うてくれはる」て、うめはらさんご満悦でした。単純なやっちゃ。

 なかせさん、そんなん言うてくれはりました? まったく覚えてません。それで、もう1台がなかせさんのオベーションです。これがいま、うめはらなかせの常備ギターですね。

  そう、でも、これがいただきものなんです。なんてお饅頭みたいですね。太っ腹な人でしてね、ギターを何台も持ってはるんです。いただいたときは、お花の模 様のキレイなギターやとただうれしがってたんですけど、どこへ持っていっても、「オベーションのガット!」と珍しがってもらいます。改めて、えらい上等な ギターをくれはったんやなあと感謝してるんです。

 単に性別が女性やていうだけでトクしはりましたなあ。また、ものほしそうな顔してはったんちゃいます?

 そんな顔してしません。カンのたつやっちゃなあ。

 バシッ!

う イテ。

 持ってないて言うたらくれはったんですぅ。そや、我が家にはもう1台変わったギターがあります。レキントギター、これもお友だちから永久貸与ですねん。

う 返す気ぃないな。

 バシッ!

な 返してて言われたらいつでも返します。お友だちは、そんな気ぃないけどね。このレキントギター、上等なんですよ。私の人徳やなあ。このギターの出番をつくってみたいです。

 なんか鶴岡雅義みたいになりません? 鶴岡雅義「レキントギターの世界」CD2枚組3,780円 (税込) いうのん出てますよ。

 知らん。まあ、うめはらさんは曲によってギターを変えて、少しでも音の幅を広げようと考えたはりますもんね。その意味でも、ありがたいオベーションです。

 柔らかい音色でアルペジオを弾きたいときはオベーションが合いますね。アンプに通すと、とくに低音がよく響きます。

 オベーションにありがちな派手な色合いでなく、落ち着いた色ですしね。

う そ れとスチール弦ばっかりやと指が痛い。いまは練習のとき、つまり1~2週間に1回くらいしかギターを弾かないので、なかなか指の皮が厚くなりません。そん なぼくの指にとって、ガット弦のオベーションはやさしいオアシスみたいなギターです。それにピックアップも最初からついてたし。

 ピックアップて?

う 弦の振動を、電気信号として検出する装置のことで、これがあるとギターマイクなしで音が出せます。

 オベーションもヤイリも、私たちがバンドをするためにしつらえたように手元にやってきましたね。この2台のギターが私たちのHPも飾ってくれています。

 その後、ヤイリでライブをやるようになって、こっちにもピックアップの必要性を感じるようになりました。で、メーカーに戻して、フィッシュマンという会社のピックアップを取りつけてもらいました。この音もけっこう気に入っています。

な 音色に変化がなくて良かったですよね。

 ほんまにねえ。それで、今年になって、うめはらの2台目のギターとなったのが、30年の時を経て、N君から買い戻したヤマハギターでした。売ったときの値段で買い戻すて言うたんですけど、「けっこう傷もつけたし」て、マケてくれたんです。ええやっちゃ。

な てことで、うめはらさんのギターて、たった2本? 少ないわー。

う けっこう、昔からハズレのギターにあたってきましたしね。ぼくはええギターを買うお金があったら、それだけのお金を出してレッスンを受けたいなあ。残念ながらお金も時間もないしむりですけど。

 ええギターより、ええ腕前がほしいわけですね。

 はい。安もんのギターでも、上手な人が弾いたら、ええ音が出ます。

 懐かしのヤマハギター、まだステージでは使ってませんね。

 ときどき家で弾いています。うめはらなかせのホームページのリンク先にある「柾目ウッドメーカー」さんで調整してもらったので、少し弾きやすくなったのですが、もともとネックの太いギターなんで、やっぱりしんどいですね。低音はけっこういい音です。

 太い音がしますね。

 なかせさんの体型に合わせてね。

 バシッ!
 バシッ!
 バシッ!

な ほんまに憎たらしいなあ。

 肉足したらしいて? それは前からでしょう。

 ほんまに腹立つ。うめはらさんが私のことを太いとか狸とか言うから、皆さんからも言われるでしょ。蹴ったろ。

 バスッ!
 バスッ!

う いてて、いてて、いててええよ~~~~~~~~♪

 ♪今月ちゃ足りない借りねばならぬ~~~

う デ! イデデイデデイデデ~~~オ♪ というわけで、次回はうめはらなかせの「探しまわった練習場所」について。


つづく

vol.6 うめはらなかせのギター(前)






うめはらなかせのギターのお話です。と前回予告したものの、実はうめはら、あんまりギターに凝る人間じゃなかったです。コレクションもしてません。意外ですかね。なもんで今回、ギター好きの人には物足りなく、ギターに興味のない人にはまったく面白くない中途半端なトークになってしまいました。あいすみません。なかせさんの体脂肪に免じてお許しを。



 よう考えたら、このテーマは厳しかったです。実はぼく、あんまりギターにこだわってるほうやなくて。

 私もポロロンとしか弾けませんしね。

 なかせさんには最初から期待してませんし。

 バシッ!

な なんでやねん!

う いてっ、まあ、そういうことで、とりあえず、うめはらのギター遍歴だけ書いてみますね。ぼくがギターを始めたのが、中学3年生くらいの頃でした。ちょうどなかせさんが集団就職で京都に出てきはったころですかいな。

な 厳しい時代でしたねえ。

 バシッ!

な なんでやねん! 私は京都の生まれです~ぅ。鴨川の水を産湯につかいました。せやのに色黒。

う カラスの行水やったんちゃいます? それよりギターの思い出です。兄貴がね、ナルシソ・イエペスの教則本とガットギターを親に買ってもらって、「禁じられた遊び」を弾いてるのを見て、自分もやってみたいと思うたんです。兄貴はすぐに飽きてしもて、そのギターはぼくのもの状態に。その後の記憶はないけど、そのギターは兄貴がだれかにあげたのかなあ。

 私も中学生のとき、兄について行って、買ってもらいました。兄のは2万円近くするもんでしたけど、私のは5千円もせんかった。兄妹でなんでこんな差があるんかと思いました。兄は、なにひとつ弾けないままに終わりました。もったいな。

 そのギターはどうなったんです?

 兄のギターはだれかにあげたみたいですよ。私のは甥にあげました。いまも持ってるかな? あの安もん。

う ぼくはもうひとつ兄貴の影響で、フォークソングを聴くようになりました。家にはブラザースフォーのLPがあったんです。それで、自分でもアルペジオを弾いてみるようになったんですなあ。

な 私は兄の友だちにギターを教えてもらいました。基本の4コード C Am F G7 これさえ覚えれば、なんなと歌えました。

 当時は関西フォークがブームになって、岡林信康に夢中になったのも中学生の頃でした。「手紙」とかガットギターで弾いてました。AmからCに行くベースラインが好きでねえ。

 バシッ!

 またウエストラインとかにつなげるんやろ。

 被害妄想や~~~。話が続きませんやん。とにかく高校生になって初めて自分のフォークギターを買うてもらいました。かどうかは覚えてません。もしかしてお小遣いを貯めて買ったのかも。メーカーはたしかモーリス。1万円やったと思います。色白のきれいなギターでした。高1の遠足にギターを持って行って、川辺で同級生とふたりで歌ったのが初めての人前での弾き語りでした。

 遠足にギター? なんやそれ! みんなやかましかったやろねえ。青春映画みたいですやん。時代やねえ。ま、もてようという下心が見え見えですね。

 もてたい気持ちとか全然なかったです、ほんまに。たしかに色白でモテてましたけどね。

 色白男がもてる? そんなん聞いたことないわ。

う 近所の散髪屋のにいちゃんにはモテました。「うなじのあたり、しゃぶりつきたなるわ」と言われたことあります。なかせさんでも言われたことないでしょ。あの頃のぼくは、女の子みたいな顔してたんです。髪も長かったし。いまとちごてね。

 だれも知らんと思て、好きに言うてよし。それでギターの方の評判はどうでした?

 覚えてません。自己満足やったでしょうね。で、2代目がヤマキの12弦ギター。だれかが持ってたのがうらやましくて買い換えたんですねえ。モーリスのギターは友だちに売ったと思います。12弦ギターは2万円くらいかなあ。寺町三条の楽器屋さんで買った気がします。そこではウッドベースも買いました。それも2万円くらいやったかなあ。お金はどうしたのか、とんと記憶にありません。親が買ってくれるようなもんではなかったと思うから、自分の小遣いで買ったんでしょう。で、この次がいよいよヤマハの3万5000円のギター。同級生のF君のお父さんが十字屋に顔がきくということで、2割引で買いました。赤いピックガードがおしゃれでした。

な 人のもんが欲しなる悪い癖、割引に目のくらむ、これまた悪い癖。

 すごく他人に感化されやすい年頃やったんでしょう。ちょうど高2くらいかなあ。ニューエデンというバンドに入れてもらって、初ステージを経験します。たしか季節は冬。舞台に出たら足ががくがく震えたのを思い出します。どこのホールやったか、どの音楽団体やったか(DIMEやったか、AFLやったか)、覚えてません。このヤマハギターは、その後の文化祭のステージなんかでも使いました。たぶん高校を卒業するまでは使ってたかなあ。

 鈍感なうめはらさんでも初舞台は上がらはったんや。かいらし時代でしたね。

 それ以降はほとんどあがりませんでしたけどね、最初やから緊張したんでしょう。で、大学に入ってからもニューエデンをやってまして、このときはもうちょっと高いヤマハギター(定価15万円!)に買い替えました。その前のヤマハギターはF君に8千円くらいで売っています。S&Gとか高石友也のLPレコードもつけてね。で、大学時代のニューエデンでは、ぼくはウッドベース担当だったので、新しい高級ヤマハギターはほとんど弾かなかったんですよねえ。メンバーのN君が主に弾いてました。で、後にこのギターを彼に3万円で譲ることになります。

 ウッドベース担当、ヘェ~~~~~~! 初耳。弾けんのかいなあ。

 あれ? 言うてませんでした? ウッドベースいうてもルートの音をボンボン鳴らすだけでしたけどね。で、とうとう憧れのマーチンギターを知り合いに譲ってもらったのが、ニューエデンを解散してからだったかなあ。D-41をたしか26万円、いや22万円だったかで買いました。ジュラルミンケースに入っていて、それはきれいなギターでしたね。でも、1年間手元にあったかどうか。これも卒業前に自動車免許を取るために、ご近所の知り合い(京都ではちょっと有名なミュージシャン)に譲りました。買いたたかれて16万円でしたね。

 バシッ!

 そんなこと言うもんやないの。

 な、なんで?

 買うてくれはったから、免許がとれたんでしょ。

 仮免までに何度検定で落ちたことか。とほほ。

 あの当時大学生で22万て、大きいお金ですやんか。食べるもんも食べんと買わはったんとちがいます?

 いまもそうですけど、お酒もたばこもやりませんしね。

 でも、気の毒にここで、うめはらさんの貧乏時代のきざしが見えてきました。ま、いまも貧乏は変わらへんね、お互いに。

 貧乏は言いすぎでしょ、貧乏は。とにかくマーチンを売ってからはギターのない時期が続きました。28歳で結婚して、知り合いからただでマルハのフォークギターをもらうまでの5年間はギターなしの生活でした。ただし、知り合いにS.ヤイリのギターを借りていた時期があったので、まったく弾いてなかったわけではないです。

 ギターなし時代、よう辛抱できましたね。

う ほんまやなあ。大学卒業前は就職活動とかで忙しかったし、就職してからは社会人として生きるので精一杯で余裕なかったし。でも、会社員時代に「おたすけ」とかオリジナル曲をつくってたんです。てことは、まだ知りあいのギターを借りてたってことやなあ。

 マルハのギター今は私の手元にあります。

 あれ、もろたときはうれしかったなあ。ギターを買う余裕なんてなかったから。

 このギター、とても弾きやすいんですよ。

 弾きやすいでしょ。それだけが取り柄です。まあ、てな具合で、こんなにも次々とギターを買っては売り続けてきたのは、あんまりギターに愛着がなかったからでしょう。というのもヤマハの高級ギターにしろ、マーチンにしろ、どれもハズレやったからです。ああ、いい音やとか、弾きやすいとか思ったことがなかった。

 そやったんですか。

上の前編につづく

2008年8月5日火曜日

vol.5 うめはらなかせの初ライブ


うめはらなかせは2007年5月12日、コープイン京都で初ライブを経験しました。それまでは人前で歌うなんて想定していませんでしたが、これをきっかけに「出演」することの楽しさを知って病みつきに(でもないか)。


 そもそも、どういう経緯でライブに出させてもらうことになったんですか? なかせさんのほうから、出たい出たいって言うてはったんですか?

 コープイン京都のライブを主宰してはるNさんとお知り合いやったんです。Nさんはご自分で「フォークルーツ」という男性ばかりのバンドで活動されていたので、PP&Mの曲を演奏されるときとか、ときどき声をかけていただいてマリーさん役で歌わせてもらってました。

う ぼくも一回聴きにいきました。「No other Name」を歌たはりましたね。

な それでNさんに「男の人と二人でバンドを組みました」てお話したら、そら出てくださいて言うてくれはってねえ。

 Nさん、ええ人やなあ。ものすご恩義を感じてるんですよ。歌える場をつくるという縁の下の力持ち的なことをずっと続けたはるでしょ?

 ほんま、ありがたいことです。ライブに出たい人はたくさんいてても、ライブの場をつくろうという人はなかなかいてはりません。

 ただねえ、Nさんにひとつだけ注文あるんです。「うめはらなかせはプロです!」て言うのだけやめてくれはったら、カンペキにええ人なんですけどねえ。

 あれ、言われるたんびに恥ずかしいですもん。

 身が細りますねえ。

バシッ!

 いやみかい!

 わかりました?

 とにかく私、そのときはライブに出たいというより、バンドを組んだことがうれしいて、Nさんには黙ってられへんだったんですよ。

 ほんま、しゃべりですもんねえ。

 私は練習してるだけでも楽しかったんですけど、発表する場があるっていうのは、張り合いになりますやんか。ありがたいことでした。自分たちでお客さんを呼ぶのでなく、お客さんが入っているところで歌わせてもらえるんですものね。

 そう、そのときは全然わからんかったんですけど、ぼくらみたいなアマチュアバンドがライブをしようと思うと、お客さん集めからせんならんのですね。知りませんでした。ぼくみたいに友だちのいてない人間にはきついですわ。

 その性格では友だちもできんわな。口が悪い悪い。

 みなさん、そないおっしゃいます。

 はじめのうちは、私がうめはらさんをあっちこっち連れまわしてるみたいなかたちでしたね。

 米つきバッタみたいに挨拶してまわりました。

 バシッ!

 たいそうなこと言うんやないの! まあそのうち、「うめはらなかせ」としてお会いした人には、うめはらさんが直接コンタクトを取ってくれはるようになって、やっぱり男の人が話を決めてくれはると早いなあと思いました。それだけで、なにか安心でした。主宰者の方の印象も良くってね。

 ぼく、そとづらはええみたいなんですーぅ。

 うめはらさんとはヤフー掲示板の「PP&Mはどこに行ったの?」のオフ会で2回会っただけで、面識はなかったのも同然でしたしね。ライブにも私が強引にひっぱりだしたんやないかという引け目みたいなもんも少なからずありました。

う たしかに自分ひとりではなんもやる気はなかったですね。人脈もないし、だいたい歌はうたいとない人間ですから。

 そやけど、ほんまにいややったら見ず知らずのおばさんと歌うなんてことしはらへんでしょう。うめはらさんが新しいかかわりを引き受けてくれはって、ほんとうにうれしかったんですよ。

 まあ、ぼくもうれしかったかな~。

 バシッ!

 メールで誘うたら「舞い上がってしまいそう」て、返信してきたん、だれや!

 そうでしたかいなー。

 それはともかく初ライブでなにをやるか。

 用意した曲は、「白い色は恋人の色」「おたすけ」「僕の中の君」I will」「She loves you」「近江の子守唄」でしたね。ビートルズならみんな知ったはるし、「白い色は恋人の色」も昭和のヒット曲です。僕の中の君」は同じくベッツィ&クリスの曲。これはヒットしてないけど、大好きな曲です。そして「おたすけ」はオリジナル。

 この「おたすけ」を聴いてくれはったコープイン京都の前の支配人さんが、すごく気に入ってくれはってね。そやからちゃんと録音してお渡ししたいと思てるんです。これはいまの私の当面の目標ですねん。

 ええ人でしたなあ。そやけど、社交辞令ちゃいますのん。

 バシッ!

 そういう盛り下がることは言うもんとちゃうの! それに支配人さんは、次の赴任先の大学のHPで「おたすけ」を鳴らしたげよかて真剣に言うてくれはったし。

 さいでしたか。

 ベッツィ&クリスはほかにもヒット曲がありましたけど、「僕の中の君」は知りませんでした。

 ぼくもCDを買って初めて知りました。フォークっぽい、いい曲なんですよねえ。サイモン&ガーファンクルの影響が感じられます。

 この曲、バンドを組む話とか出る前に、メールで送ってくれはったのを聴いて密かに練習してたんですよ。うめはらさんがPP&Mのオフ会へ初めてギターもってきはったとき、私が歌ったら「そんなんやったらちゃんとコードとって練習してきたら良かった」て言うてはりました。忘れてるやろなあ。

う はい。

 バシッ!

 想像通りかい! ほんまにせんない人やわ。

「近江の子守唄」は、高石友也とナターシャセブンのバージョン。35年くらい前のカセットに入ってたのをぼくが引っ張り出してきて、このハモはいけると。けっこう「うめはらなかせ」的でした。

 そうそう、私の声とうめはらさんのハモリとうまく合うキーなんでしょうね。淋しそうな曲にぴったりの枯れかけたおっさんとおばはんですし。

「昭和枯れすすき」みたいに聞こえますがな。そやけど、おっさんとおばはんで人生経験も豊富なわりには、初めてのことで、MCがほとんどなかったんちゃいます?

 まるで高校生の学園祭みたいに次の曲名だけいうて歌うみたいな感じでしたね。

 MCは歌より自信あったんですけどねえ。なんせ初めてなもんで。

 Nさんには「私たち初めてのライブやから前座として、最初のほうに出してください」てお願いしてたんですよ。

 それで6時10分スタートで、持ち時間は20分。それが10分ちょっとで、全曲あっと言う間に終わってしまいましたね。

 何曲が歌えるか時間も計らんと舞台に立ちました。そやから時間があまったんですね。

 そんなわけで急きょ、予定してなかった「近江の子守唄」を歌ったんでしたっけ?

 思い出すとなんか懐かしいなあ。初めて歌ううれしさと緊張とが入り混じってね。

 それにこのころは、歌詞は絶対覚えて出よということでやってましたもんね。いつもお風呂で歌て歌詞を暗記してました。

 それぐらい、気合いが入ってたっちゅうことでしょうね。

う 舞台衣装も悩みましたがな。

 うめはらさんの黄緑のオシャレなオープンシャツ、印象的でした。へえ、おっさんがこんな若いの着はるんやと思いました。

 さいですか。ぼくはなかせさんの服は覚えてませんし。

 バシッ!

 期待してしませんし。そのわりにキレイなお客さんと出演者はようおぼえてはりますね。「あの人、いくつぐらいなんでしょ?」とか。ほんまやらしいおっさんやわ、けったろ! 

バスッ!

バスッ!

バスッ!

う イテテテテ。大根足キックがキマった~~。

 それで8時半ごろ、ほかのバンドさんの到着が遅れたかなんかで、もう1曲と頼まれて、いったん引っ込んでたのにステージにあがりましたね。

う 何しようと思いながら決めずに舞台にあがりました。ほんで「a swallow song」しましたね、アカペラで楽ちんでした。

 この歌、これ一回きりでしたね。初ライブやから歌えたんかもしれへんなあ。狂ったらにっちもさっちもいかへんもん。

 しかし、初ライブ、めちゃめちゃあがりましたね。ぼくはステージであがったことがないのが自慢やったんですけど、まったくあきませんでした。

 私もあがり性です。前のバンドのメンバーからは「なかせさんからは緊張が伝わってくる」と言われたもんでした。うめはらさんも「なかせさんがあがるさかい、ぼくにも伝染するんです」言うて責めはりました。

 責めましたっけ? よう考えたら、大学時代とかバンドは3人以上でやってて、ぼくは大して役割を果たしてませんでした。リーダーが8~9割くらい頑張ってるから、ぼくがまちごうても大勢に影響はない。そやからあがらんかったんですね。ところが、いまは責任が半々です。

 ギター一本ですもん。伴奏は全部うめはらさんの肩にかかってますもんねえ。

 感謝せえよ。

 バシッ!

 なんで急にえらそうやねん!

 いつも本番前に階段の踊り場でやる練習ではうまいことハモるんですけどねえ。

 狭い階段室で、音がものすごく響くので、完璧にハモって聞こえます。もう舞台に立たんでもええかなあと満足してしまいます。

 初ライブから1年以上、コープインでは毎回新しい歌をお客さんに聴いてもらおうと張り切ってやってきましたねえ。

 あれから、ほんまにたくさんのライブに出演させてもらいました。こんな風にHPまでつくってやっていけるなんて、夢にも思ってませんでした。

 こんなに毎月どっかに出させてもらえるやなんて、できすぎですね。

 ライブに来てくださるお客さんはもちろんですけど、出演の機会を与えてくださった方々に感謝せなあかんなと思います。

 ほんまですわ。そやのに最近はレパートリーを増やすことと、ライブの数をこなすことに追われてしもて、ひどいときはステージの上で次やる曲を考えてましたもんね。

 もう少しライブを減らして、少しでも充実した音楽をお聴かせできるように練習せなあきませんね。

 やりかけの曲もたくさんありますもん。

 そやけど、ライブを減らすと出演の機会を失くすんやないかと言う不安が湧いてくるのもまた事実です。

 なかせさん出たがりですもんね。

 バシッ!

バシッ!

バシッ!

バシッ!

バシッ!

 そういうお前はどやね~~~~~~~~ん!

 てことで、次はうめはらなかせのギターについて。

つづく

2008年7月8日火曜日

vol.4 うめはらなかせの“選曲眼“(後)


第4回「うめはらなかせの選曲の秘密」の最終回です。

とにかく選曲の基準は、ギター一本で伴奏できて、ハモれるかどうか。もうひとつは、他の人があんまり取り上げてないかどうか。

 そこが難しい。皆が知ってるけど、皆が歌ってない曲を探す。

サイモン&ガーファンクルの「ペギー・O」もベッツィ&クリスの「僕の中の君」も、条件的にはええんですけど、コピーしようと思うと、ぼくらは男女のデュオですから、声の高さの差が必然的にネックになります。ちょうどええ具合にハモれて、ギターのおいしいフレーズが挟み込めるキーを探すのが難しいんです。ここまで上げたら楽に声は出せるけど、ギターのプレイコードを変えんと演奏できひんとか。

な あまり低い声で歌うと聴こえんようになりますし、音程もとりにくい。上げすぎるとキンキンするし。

 ただし、なかせさんは音域が広いし、ぼくは比較的高い声が出るので、それで選択肢も広いのかもしれません。

 うめはらさん、一年前から比べたらどんどん声が出てきてますね。お互い家で歌ってたときは、思いっきり声を出せませんでしたもんね。

 ていうか、ぼくはほとんど歌ってませんでしたねえ。歌を忘れたカナリアですわ。なかせさんは、ず~~~と歌うたはりますよね。歌を忘れんカバリアや。

 バシッ!

 おもしろないわ。

 ま、「水曜日」なんか、S&Gと同じキーで歌ってますもんね。ぼくがサイモン、なかせさんがガーファンクルで。ところが、この曲、メロディとハモが途中で反転するんですよねえ。高音のガーファンクルが低音になる。

 この声の入れ替わりがおもしろい。

 で、そのまんまやるとなかせさんには低すぎるので、パートを固定して、高い声はなかせさん担当、低い声はうめはら担当でやってみたけど、やっぱり原曲どおり反転するほうがきれいでした。さすがS&G、すごく考えながらハーモニーをつくってますね。

 あっち歌ったり、こっち歌ったり、いろいろ試行錯誤やりましたね。

 というように、やってみたい曲も実際に歌ってみると、なかなかうまくハモれないってことは日常茶飯事でした。

 一回歌ってみて、こらあかんなあってのもありましたね。練って、練って、結局棚上げになってる曲もありますしね。でも、いつかなんとかしたいです。

 ま、結局のところ歌もギターも大したことないし、ギター1本でボーカル2つでは単調になりがちです。せめて選曲でなりと特徴を出さんとねえ。

 そうです。関西人の心意気みたいなもんで、お客さんのウケを狙いたい選曲もありますしね。

The water is wide」をやるバンドはあっても、ザ・ピーナッツの「ふりむかないで」をいっしょにやるバンドはあんまりないでしょう。

「かねてっちゃん」もんね。

 ぼくが感心したのは、なかせさんの「なんでも歌いたい」というストライクゾーンの広さです。ユーミンも、小椋佳も、いややて言わはりませんもん。そういう意味では、ぼくのほうが好き嫌いは激しいです。ただ、好みのメロディーやなくても、ギターで工夫できるんやったら、やる気になるんですけど。いかんせん、弾けるパターンが限られてて。

 私の場合は、歌詞に好き嫌いがありますけどね。でも、流行歌いうのは、そのとき意識してなくても、後になって心に沁みてくるものもあります。流行したってことは、その歌で明るい気持ちになったり、慰められたりした人がいるてことでしょ。そういう曲を歌えるだけでありがたいです。

 マドンナとかダニエル・ビダルとか西田ひかるとか、ふつうは「いえいえ、私はそんな器やあらしません」とかいうて遠慮するでしょ。

バシッ!

 「オー・シャンゼリゼ」は、MCで私のことをダニエル・ビアダルと呼びたいがためだけの選曲やと言うことは、すぐに察しがつきました。ほんま腹立つ~~~、今度は蹴りや!

バスッ!

バスッ!

バスッ!

う ぅおおおお~、キク~~~ゥ。あと、うめはらなかせ選曲史のターニングポイントといえばクイーンの「We are the champions」ですかね。

 これねえ。歌えましたねえ。歌ってたらチャンピオンて気になりますやん。「みんな~、私らチャンピオンえ~!」て、京都弁でおかしいけど、呼びかけてる気がしますもん。

 これで、元気のいいロックもできそうな気がしてきました。

 ほんまにロックのギターご苦労さんですね。

 ちゅうことで、うめはらなかせの選曲の秘密は、やれそうな曲を探してるうちにこうなりましたってだけでしたかね。

 ほんとにやりたい曲が次々とでてきて、私のiPodにはたくさんの曲が待機中です。スタジオお借りしてるカトチャンがそれを見て、マッサージの低周波治療器ですか? て言わはりましたけど、ほんまにそういう歳ですもんねえ。

 なかせさんは、ね。

バシッ!

バシッ!

バシッ!

バシッ!

バシッ!

 お前もおんなじじゃ~~~~~~~い!!

 てことで、次は初ライブについて。



つづく

2008年6月28日土曜日

vol.4 うめはらなかせの“選曲眼“(中)


第4回「うめはらなかせの選曲の秘密」がまだ続きます。


 初めてのライブでは、けっこう曲選びで悩みましたね。

 やっぱり、だれもが知ってる曲があったほうがいいということで、「白い色は恋人の色」を入れたんですね。

 知ってる曲が出てくるとうれしなるて言わはるお客さんもいはりますしね。

う その意味で、童謡、唱歌、CMソングがいいんですね。

 みんな覚えたはるし、きれいな曲が多いですし。CMソングは「サントリーオールドの歌」「かねてっちゃんの歌」「パルナスの歌」、いろいろやってます。

 「1234」は、iPodのCMを見てた嫁はんが、「これやってみたら?」と勧めてくれた曲です。うめはらなかせにとって、初の21世紀に出た歌への挑戦ということになります。99%は20世紀の歌ですもん。

 若い人からは「知ってる知ってる」と言うてもらえますね。

 ということで、自分らのやりたい曲というのと、お客さんが聴きたそうな曲。その両方のポイントから曲選びをしてますね。

 私らもお客さんも楽しめるように、てね。

 ぼくら、そろってええトシですし、過去にバンド経験もあるので、昔歌ってた曲をいま取り上げてると思われるかもしれませんけど、実はこのトシになって初めてやる曲、初めて聴いた曲が多いんですよね。

 そうです。私はPP&Mしか歌っていませんでしたからねえ。

 ぼくが大学生のころやってたバンドでは、リーダーがつくったオリジナル曲を中心にいろんなジャンルの曲をやってました。そういう意味では、いまのうめはらなかせに通じる部分はあります。ただ、ぼくのつくった曲はやってませんでした。

 やってもらえませんでした、でしょ。

 ま、そうかな。自分からはやりたいって、あんまり言わない人間なんです。だから、なかせさんがやりたいて言い出さなかったら、自分のつくった曲はいまもやってなかったでしょうねえ。

 ほんま消極的ですもんね。

 奥ゆかしいんです。

 バシッ!

 勝手に言うとき。それに、最初はレパートリーが増えませんでした。歌詞を覚えんとあかん、譜面見て歌うなんてお客さんに失礼やと頑張りましたね。

 ほんまや、なかせさん頑固でしたよ。ぼくが歌詞を見て歌いたい言うたら、そら邪道や、みたいに、ものすごい剣幕で怒られたもんです。

 そんなつよう言うてませんやん。ちょっとアドバイスしただけ。

 初ライブでは歌詞を見んと歌いましたけど、ものすご緊張しました。

 ところが、歌詞を覚えられるまで待ってたら次の曲にかかれんようになってしもたんですよね。

 実際、次のライブで「She loves you」の歌詞が出てこんと、ステージでかたまってしもたことがありました。

 あったあった。

 それから、歌詞が覚えられへんせいで歌えへんくらいやったら、歌詞を見て歌えるほうがマシちゃうかと開き直るようになったんです。

 歌詞を見てもええんやったら、いっぱい歌えるなあと妙に納得して、それからは歌詞を見ることにしました。

 それでも、ある程度覚えないと歌えませんけどねえ。

 うめはらさんは、ほんまに記憶力がええですね。すぐ覚えはる。集中力があるんでしょうかね。せやけど、忘れるのも早い。

 最近はコードも忘れます。昔はコードは無意識にとれたんですけどねえ。

 それで次の歌を覚えたら前に覚えた歌は忘れはる。これは、見事な能力です。普段の会話でもそうですけど。

 そうでしたかいなあ~~

 言うたしりから、忘れはる。いつも、そんなん言いました? そんなこと書きました?

はははは、たいそうに言うてからに。とにかく歌詞を見て歌うことにしたおかげでレパートリーは飛躍的に広がっていきました。

 とにかく気になる曲はやってみよかと。

 で、MISIAの曲はなかせさんが持ってきはりましたしね。これは最初できるんかいなと思いました。なかせさんはどう見てもMISIAというよりめしやのおば……

 バシッ!

 い、痛っ! 定番のシバキ、ありがとさんです

 しばかれたいんでしょ。

 これ、けっこう読者が心待ちにしてはるんですわ。

 「名前のない空を見上げて」は8分の6拍子がわかりやすい曲やというので送ったんですけど、歌うことになりましたねえ。

 いまだに8分の6拍子と3拍子の違いがわかりませんけど。

 かなんなあ。まあ、私もMISIAをやるやなんて、あつかましいにもほどがあると思てます。

 ほんまに、ほどがあると思いますよ。

バシッ!

 バシッ!

バシッ!

 まだ思うかァ?

 い、いいえ、思いません、ちっとも、まったく、けっして。

つづく

2008年6月23日月曜日

vol.4 うめはらなかせの“選曲眼“(前)


「うめはらなかせは選曲が面白いですねえ」とよく言っていただけます。高峰秀子からクイーンまで、戦前の唱歌から21世紀のCMソングまで、どういう脈絡でレパートリーができあがっていくのか? 第4回はうめはらなかせの選曲の秘密です。


 選曲はどなたからもけっこうほめてもらえますね。

 ほかに、ほめるとこないしね。

 ガクッ! それ言うたらしまいですやん。

 皆、気の毒がって、なんなとほめなあかんという優しい気遣いです。

 まあね。ぼくもなかせさんも、自分が主体でやるというバンドは初経験なんですよね。そやから自分でレパートリーを決めていくという経験も初めてで。

 歌いたい歌が歌える。これがこんな楽しいことやと初めて知りました。

 基本的にはお互いにやりたい曲をメールで送りあって、相方が歌いたいといったら、それでOK。どんな曲を選んでもいいんです。この自由さと来たら。

 こんな曲やろかて言うたら、変なやつと思われへんやろかとびくびくせんでもええしねえ。「お富さんどうです?」てたずねてきはったときに、なんでもありでええねんなあと思いました。

う へ~、そうでしたか。いってみれば、ツタヤに入って、どのジャンルからでも観たいビデオを選んでええと言われたみたいなもんです。おっ、「人妻」ものもありやなあ、「女教師」シリーズもええなあ、「制服」も「緊縛」もあったがな……みたいな。

 バシッ!

 一発では手ぬるい。

バシッ!

バシッ!

バシッ!

バシッ!

バシッ!

 イテテテテ。5連発や~~!

 ちょっと聞いとこ、「緊縛」これはどう読むんです?

 きんばくです~ぅ。

 そういう無駄知識だけはあるんやから、もう。

 まあ、それくらい広いジャンルから選べるってことのたとえですやん。

 ちょっとも広ないわ。みんなおんなじカテゴリーやん。ハリソン・フォードあり、佐藤浩市あり、ヨン様あり、ぐらいのこと言えんかいな。あんまり変わらんか。

 なかせさん、意外に面食いなんやなあ。歌のほうでは、フォークとビートルズを中心に、歌謡曲、民謡、童謡……と好き嫌いは少ないですね。

 はい。なんでも好きです。二人ともガラに似合わず、かいらしい曲がすきですねえ。

 かいらしい曲! へ~、そういう表現があったんですね。ぼくは歌謡曲よりロックを多めに提案してるかなあ。

 まあ、でも、ほとんどうめはらさんがリードしてはりますけどね。たくさんの音源を持ってはりますもん。

 なかせさんに比べたらねえ。

バシッ!

 なんか剣のある言い方や。

 また、すねてからに。とにかく最初のころに練習したのが、オリジナルの「おたすけ」、ビートルズの「I will」、ベッツィ&クリスの「僕の中の君」、サイモン&ガーファンクルの「水曜日の朝午前3時」でしたね。

 「おたすけ」のメロディの動きがいままで聴いたことないもんやったんで、自分から歌いたいと言い出したわりには、てこずりました。

 そうでしたね。わざわざ音符に起こして覚えたはりましたね。それがぼくには新鮮で。ぼくら音譜読めませんし、ドレミで言われてもわかりませんでしたけど。

 「I will」、これはいままで言うてませんでしたけど、高校のときにね、男の子にこの歌詞の入ったお手紙もらったことがあったんです。

 や、やらし! だんなさんに言うたろ。

バシッ!

 なんでやねん! こんな素敵な歌詞のビートルズがありますよ、ていうだけのお手紙でしたけど。

 下心見え見えですがな。なかせさん、モテてはったんや、いまとちごて。

バシッ!

バシッ!

 ほんまにチャチャばっかり入れてからに。とにかく、それ以来、私はずーっと歌いたかったんです。それで、うめはらさんが「おたすけ」「I will」とメールで送ってきはったときは、このチャンスを逃したらあかん、いま自分から働きかけなあかん、と。大げさやけど、こんな機会は二度と私には来いひんやろ、と思いました。

 それで「一緒に歌いませんか」てメールしてきはったんですね。

 そしたら返信で「ほんまにうれしいお誘いで、舞い上がってしまいそうです」てメールを送ってきはったんです。

 そやったですか!

バシッ!

 もう忘れたんかい!

 へへへ。

 「もしまた音楽ができるならこんなこともあんなこともしたい」てお返事くれはりましたよ。このときの“音楽ができる”という言い方に、私は感心したのを覚えてます。“歌いたい”やなくて“音楽ができる”て、へ~~、そういう考え方しはるんやて。

 へ~~~~~!! そら初耳でした。

バシッ!

 前に言いました。

 さ、さいですか。ま、ぼくの場合、歌いたいというより、ギターで伴奏がしたい、ハモりたいというのが強いんで、それを一言で“音楽する”と表現してるんでしょうねえ。

 おまけに、この「I will」、アリソン・クラウスの素敵なアレンジでした。実はこのCD、ひとからもろて持ってたのに、聴いてなかったんです。

 そこがアホのアホたるゆえんですわなあ。

バシッ!

バシッ!

バシッ!

バシッ!

バシッ!

 また5連発、いっとこ。

 目ぇ~まわってきた。


つづく

2008年6月3日火曜日

vol.3 うめはらなかせはなぜふたり?


うめはらなかせは、ボーカル2+ギター1の最小編成バンドです。なんでこうなったのか? 第3回はバンドのスタイルについてです。


 今回はスタイルの話です。

 バシッ!

 イテテテテ。体重の話やなくて、バンドの演奏スタイルのことですやんか。

 そやったん。

 なかせさんに「いっしょに歌いましょ」と誘われて、最初に練習しましたね、あのバレエレッスン場で。

 だだっ広いとこね。うめはらさん暖房と冷房のスイッチを間違えはって寒かったです。あのときに鈍くさい人やっちゅうことに気づくべきやった。

 はははは、完全に忘れてた。冬でしたもんね。あんとき、なかせさんはオベーションのガットギターを持ってきはって、自分でも弾かはったでしょ?

 ポロロンとね。

 それで、「へ~、自分で伴奏して歌わはるんや」と思うたんですけどね。ギター2台でやるつもりはなかったんですか?

 そんなん、ぜんぜん思ってしません。ヘタクソですもん。

 エミルー・ハリスの曲、それなりに雰囲気出てましたよ。

 いや、ほんま?

 ほんまほんま。そういえば、最初はベッツィ&クリスとサイモン&ガーファンクルの曲が中心で、ご本家はどっちもギター1本で、ボーカル2つです。

 ギター1本あったら歌えると思うてました。

 ギターは1本でも、スチールとガットを使い分けるんですけどね。スチール・ガット、なんちゃって。

 意味わかりませんーーー。けど、あんまり見かけませんね、この編成。

 最初から自分が歌姫になるつもりやったんでしょう。

 バシッ!

 い、痛っ! ぶた姫て言うてませんやんか

 ほんまに、ようそんなこづら憎いことばっかり思いつきますね。

 へへへ。それと、うめはらなかせはなんでふたりかっちゅう話ですけど。PP&Mの掲示板で知り合うたんやから、あとからだれか入ってもろてもよかったんですけどね。

 こんな変わりもんふたりのとこにだれが寄ってくれはります?

 しやろか。まあ、ふたりだけっちゅうのはフットワークが軽いですよね。練習の予定を決めることから、どの曲をやるかまで、すぐ相談できて、すぐ決まる。

 フットワークは軽いけど、からだは重い。と自分で言うてしまいました。

 ははは、先に言われてしもた。ギター1本やと楽器の練習時間もいりませんしね。その代わり、音がしょぼいがな。

 そんなことないと私は思っています。へたなギターが入るよりずっとマシですやんか。

 まあ、チューニングひとつとっても2台やと時間がかかります。それでもPP&Mみたいにギター2台でやるときれいですけどね。

 いろんなとこで上手な人に出会えるし、そういうときにちょこっと合わせはったらよろしいやん。

 ときには3声でハモりたい歌もあるし、演奏かて音の厚みもほしなることもあるけど、このふたりだけの気楽さにはかないませんな。

 バシッ!

 ぶ厚いカラして役に立たん、て言いたんでしょ!

 イテテテテ。言うてませんって。言うてないだけで。

 にくたらしいわ。ほんまに。

 被害妄想やがな、ほんま。まあ、しかし、メンバーがふたりだけで、楽器のアンサンブルもなしっちゅうことで、やりたい曲がすぐできる。そこが利点です。

 でも、他のバンドがしてるのにやってないことがありますやんか。

 なんです?

 忘年会やライブの打ち上げ飲み会。私らふたり寄ったら、練習しよかになりますもん。

 ふ、ふたりだけで飲み会! 考えたことない。

 バシッ!

 イテッ!

 考えたことないてーぇ?

 なかせさんの顔見て飲んでもおいしないし。

 バシッ!

 バシッ!

 おたがい様ですぅ。

う 2発もどつかれたあ。そういえば結成1周年のお祝いもしてなかったなあ。

 とにかく練習が楽しいのが何よりですもんね。

 へえ、なかせさんの持ってきてくれはるおやつと熱い紅茶も、ありがたくお呼ばれしてまっせ。

 感謝して食べよし! 

 食べてますがな。

 でも、始めは練習だけでええと思うてましたもんねえ。ハモれるだけで楽しいし。

 ほんまでっせ。ぜーたく言うたらあきません。主婦とフリーライターやさかい平日の昼間に練習できるし。

 家も近くもなく、遠くもなく。

う それにぼくら、お互い自分の意見が遠慮のぅ言い合えるとこがええんですわ。

 強力なリーダーがいてませんしね。

う イコール・パートナーということです。体重はイコールちゃいますけど。

 バシッ!

 バシッ!

バシッ!

う 3発もどつかれたあ。

 当然の報いやわ。

 てことで、次はうめはらなかせの特色である選曲の妙について。

                                               つづく

2008年5月24日土曜日

vol.2 命名うめはらなかせ


第2回は、バンド名の「うめはらなかせ」ネーミング秘話(そんなタイソなもんか)です。

 バンド名を真剣に考えだしたのは、初ライブの日程が決まってからでしたっけ?

 練習だけで楽しいと思っていたのに、ライブ出演が決まって。それでバンド名が必要になってうれしかったです。

 2007年の春ごろかなあ。

 そうです。ライブ会場になる「コープイン京都」のチラシに名前を入れるので、「バンド名教えて下さい」て、主宰者さんからメールがきました。

 最初はぼくの発案で「いそじまん」でした。五十路(いそじ)からのスタートということで。

 「五十自慢」かと思っていたら、「五十路MAN」でしたねえ。

 そうそう、五十路の人ということで。

 そやけど、私はMANちゃうし。

たくましいし、MANでもええですやん。

 バシッ!

 い、痛っ! いや、そやから「五十路WOMAN」と書いて「いそじまん」と読んでもええやないですか。

 そんなんダメですぅ。男性ばっかりのバンドみたいでいややし、却下!

はいはい。

 というて、英語のバンド名を考えようとしたけど、なんや垢抜けせん二人が英語名を乗るのも気恥ずかしいしねえ。

なんとかライダースとか、チェリッシュみたいなんはガラやないし、実物との落差も激しいし。ということで第2案、「京のはもきち」を提案したんですけどねえ。

 ハーモニー(ハモ)が好きやし、京都はハモ料理が有名やし。

 もう、これでいこかという感じもあったんですけど。

 私の本名がせっかく「なかせ」やから、これを活かさん手はないと言うたんです。

 そうでしたか。

 バシッ!

 ようそんだけ、あっけらかんと忘れられるわ。

 イテテテテ。

 それに私は、うめはらさんの名前をみんなに覚えてもらいたかったんです。バンド名に名前が入ってたら絶対覚えてもらえるでしょ?

 へえ、そらもうありがたいこってす。

 普段の言動からは、そういう感謝の気持ちが感じられしませんけど。

 いえいえ、それはもうちゃんと感謝したおしてます。

 それやったら、よろし。

 それで最初は「うめはら泣かせ」やったんですね。もう、これはうめはらなかせの人間関係の機微が浮かび上がってくる、実に卓越したネーミングでした。

 バシッ!

 わかってるんやろねえ。

 は、はいッ。

 でも、うめはらさんが、それではちょっと味気ないていうて、アットマークを入れて「うめはら@泣かせ」にしたら? といわはったんです。

 ちゅうことで、デビューのときは「うめはら@泣かせ」でしたね。そやけど、これもやっぱりシンプルなほうがわかりやすいし、自分ららしいということで、いまの「うめはらなかせ」になりました。

 なんか、いまいちネーミング秘話というほどのこともなかったですね。

 ほんまにねえ。みなさん、最後まで読んで「しもた!」て思うたはるわ。

 いたらん点はみんなバンマスの責任ですし。

う バンマスって、ぼくのこと?

 はいな。

 なんでやね~~~~~ん!

                                      つづく

2008年5月5日月曜日

vol.1 うめはら meets なかせ



うめはら&なかせがワンテーマについてチャタリングする「しゃべライブ」コーナー。第1回は、うめはらなかせ創業期を語る「うめはら meetsなかせ」です。



 ふたりの出会いといえば、これが意外や、インターネットなんですね。

 出会い系サイトではないですから!

 Yahoo! 掲示板のトップ> エンターテインメント> 音楽> ジャンル> フォーク> と探していくと出てくる「PP&Mはどこへ行ったの?」というトピックスが出会いの場になりました。ぼくが初めて書き込みをしたのは200511月のこと。なかせさんはその前から常連でしたね。

 中途採用のようなもんでした。

 20006月から始まった歴史のあるトピやったので、最初からいたわけじゃないということですね。ぼくは5年以上たってから入ったわけです。ハンドルネームはchabinhead。初めてのオフ会で、「チャビンさ~ん」と声をかけられたときは恥ずかしかったです。なかせさんはkarinto さんでしたね。なんで、karinto なんですか?

 名前のアルファベットを組みかえただけで。もとはkarinだったんですけどIDを忘れてkarintoにしました。 カリントの語感が好きです。

 というわけで、なかせさんと出会ったのは、「PP&Mはどこへ行ったの?」の京都オフ会でした。2006年の夏でしたね。fantsticbaseさんというPP&Mバンドのベースマンがおられて、この方の行きつけの「すし竹」という店でしたっけ? 先斗町の小料理屋さん。

 正真正銘京都弁のお店でした。値段もお手ごろで美味しくて。

 うめはらの第一印象はどないでした?

 チャビンて言うぐらいやからツルツルかと思っていたら、しょぼしょぼとありました。

 しょぼしょぼて。逆になかせさんの印象は、そらもう、ええっと……。

 信楽狸でしょ。分かってます!

信楽のタヌキて、そんなかいらしかったですかいな。印象的やったのは女性ふたりで「SPARROW 」という歌をハモらはったこと。これはけっこう感激しました。

 また間違う。「SPARROW 」やなくて「SWALLOW 」でしょ。いま、うめはらなかせのレパートリーになってますやん。

 さいでっか。とにかく、そのあと2回ほどオフ会があって、で、別の人に送ったぼくのオリジナル曲の「おたすけ」をなかせさんが聴かはったんですよね。

 「おたすけ」にはびっくりしました。ほんまに歌いたいと思いました。

 さすがお目がお高い! ほんで、なんでいっしょにやることになったんでしたっけ? もう忘れてしもた。

 私がお誘いしたんですよ。

 そうでしたか。それが2006年の秋か年末か……。

 苦難を乗り越えてのバンド結成でした。

 苦難てありました? まあ、初めての練習は緊張しましたねえ。それまでにお互いやりたい曲をメールで送ったりして、わりと好みがあうのはわかってたけど、実際合わせてみると、これが。

な あきませんでした。

 こんなハモらへんの、どないしょて思いました。サイモン&ガーファンクルの歌とか練習したんですけど、まったくハモれへん。自分で二声を吹き込んだほうがきれいにハモッてる。これはショックでした。

 ほんまにねえ、どうなることかと思いました。

 まあ、しかし、やってるうちに何とかなるもんで。

 気心しれて お互い相手の声に寄り添う気持ちが出てきたんでしょうね。

ここで伸ばす。ここで声をはる。とかちょっとしたことですけどね。

  ちゅうことで、次は初ライブの話をしましょか。

 まだありますやん。浮かんでは消えたバンド名のお話。

 そやったそやった。では、次はバンド名もろもろの話を。

                                     つづく